宗像神社は、宗形神社や胸形神社と書くこともある宗像三女神をお祀りする神社です。
宗像神社の総本社は福岡県宗像市に鎮座する宗像大社です。
全国の厳島神社でも宗像三女神をお祀りしています。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㊱宗像さま厳島さまについて教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
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誓約によって生み出された宗像三女神
宗像三女神(むなかたさんじょしん)とは、田心姫神(たごりひめのかみ)と湍津姫神(たぎつひめのかみ)と市杵島姫神(いちきしまひめ)のことです。
宗像三女神とは、古事記や日本書紀によると、天照大神と素戔嗚尊との誓約によって生み出された神々です。
天照大神は、剣から3柱の女神を生み出されます。それが宗像三女神です。
宗像三女神は天照大神の命を受けて宗像の地へ降臨されます。
それが宗像大社です。
道主貴(みちぬしのみち)
宗像三女神は『日本書紀』では、「道主貴」(みちぬしのみち)とも称されています。
「貴むち」とは神に対する貴い呼び方で、あらゆる「道」を司るとされています。
宗像三女神は貴い道の神であるという意味です。
鉄道関係や自動車関連においても交通安全の神ともされています。
厳島神社-いつくしまじんじゃ
宗像三女神は、全国の厳島神社でも祀られています。
古来より、海上安全守護の女神とされています。
宮島は、古くから神の島として信仰されており、人が住むことは許されずに、神様を斎き祀る島として「厳島」と呼ばれたのです。
広島の厳島神社は、「安芸の宮島」と称され、瀬戸内航路を掌握し日宋貿易を進めた平清盛が篤く崇敬して大きく発展したことで有名です。
厳島の戦いで毛利元就の勝利により、毛利氏も深く崇敬しています。
豊臣秀吉も武運を祈願しており、現在の末社である千畳閣を建立しています。
宗像大社
宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つであり、御祭神は宗像三女神です。
全国に六千ニ百社以上ある宗像神を祀る神社の総本宮で、厳島神社の元宮ともいわれています。
沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮を総称して宗像大社といいます。
宗像大社は弁天社や弁才天社の総本宮とも言われています。
宗像大社は、鎮護国家と皇室守護および航海の神として朝廷から崇敬されまし
た。
また、庶民からは漁業・航海・交通の神として信仰を集めてきました。
沖津宮-おきつぐう
沖ノ島に鎮座する沖津宮には、田心姫神(たごりひめのかみ)が鎮座しています。
沖ノ島は、我が国の天然記念物に指定されている貴重な無人島であり、石一つたりとも持ち出すことができない掟があります。
島全体が宗像大社の境内地で一般人は立ち入り禁止の上に女人禁制であり、神職が上陸する際には海中での禊が行われます。
沖ノ島からは,4世紀後半から10世紀初頭にいたる祭祀遺跡が出土しており、沖ノ島は海の正倉院とも呼ばれています
中津宮-なかつぐう
中津宮は、湍津姫神(たぎつひめのかみ)が鎮座しています。
中津宮は、大島の最も高い場所あり、湍津姫神の降臨の地と考えられています。
沖津宮遥拝所は、沖津宮の鎮座する沖ノ島を遥拝でき、島の北側にあります。
辺津宮-へつぐう
辺津宮は、本土に鎮座し、市杵島姫神(いちきしまひめ)を祀っています。
市杵島姫神の降臨の地とされる高宮祭場(たかみやさいじょう)があります。
辺津宮から中津宮を経由し、沖津宮を直線で結んだ先に朝鮮半鳥があります。
神功皇后の新羅遠征のときには、宗像三女神に航海の安全祈願をされています。
また、遣唐使も必ずここを参拝していました。
弁財天-べんざいてんの総本宮
市杵島姫神は、民間信仰として広まった弁才天とも習合します。
宗像大社は弁天社や弁才天社の総本宮とも言われています。
宗像大社についての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
問題1
宗像大社の沖津宮が鎮座する( )からは、4世紀から10世紀初頭にいたる祭祀遺跡が出土しています。大陸や半島との交流にともない、ここで国家的なお祭りが行われていたのです。約8万点を超える祭祀遺物には、中国やペルシャのものまであり、( )は海の正倉院とも呼ばれています。
( )に入る言葉はどれでしょう?
- 児島
- 隠岐島
- 津島
- 沖ノ島
答えは4 沖ノ島
過去の試験での出題
- 平成27年6月21日 第4回神社検定 問76
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