出雲信仰の中心地は島根県出雲市に鎮座する出雲大社です。
正式には「いづもおおやしろ」と称し、ご祭神は大国主大神(おおくにぬしのみこと)です。
出雲では十月の「神無月」を「神在月」と呼び、全国の神々が集まるといわれています。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㊳出雲大社について教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
第11回神社検定は、令和五年6月開催予定!
出雲大社
出雲信仰の中心地が島根県出雲市に鎮座する出雲大社です。
正式には「いづもおおやしろ」と称し、ご祭神は大国主大神(おおくにぬしのみこと)です。
『延喜式神名帳』には、杵築大社(きづきのおおやしろ)と記載されています。
『記紀神話』によれば、大国主神は「国作り」を完成した後、高天原からの天照大御神の使者に国を譲ります。
その際に、千木が高天原に届くほど高々とした天孫の住処と同じ位大きな社を建てる要求をしました。
そうして造営されたのが天日隅宮(あめのひすみのみや)で、出雲大社の創祀とされています。
天日隅宮-(あめのひすみのみや)
天日隅宮(あめのひすみのみや)は、明治以前のこの地方の呼ばれ方では杵築大社(きづきのおおやしろ)と記されています。
平安時代中期の文献では、東大寺大仏殿よりも大きかったと記されています。
出雲大社の口伝によると、古くは高さ32丈(96メートル)ほどもあり、平安時代には16丈(48メートル)とされています。
96メートルはビルの19階に相当
48メートルはビルの13階に相当
神在月-かみありづき
出雲では十月の「神無月」を「神在月」と呼び、全国の神々が集まるといわれています。
神迎祭 かみむかえさい
神迎神事・神迎祭 【旧暦10月10日】
2019年11月6日(水)19時~ 稲佐の浜(出雲大社の西方約1km) 定刻になると、御神火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中に神籬(ひもろぎ ご神体の依り代に使われる榊等の常緑樹と紙垂のことです。)が2本用意されます。
さらに神々の先導役の龍蛇神様が海に向かって据えられます。
神事が終わると浜から出雲大社への「神迎の道」を行列が続きます。
この後、出雲大社神楽殿で「神迎祭」が執り行われます。
そうして迎えられた神々は東西の十九社に鎮まられます。
神々を先導する竜蛇神は、豊作、豊漁、家門繁栄などのご利益を与えてくれるとされています。
神在祭期間中には八足門内廻廊に奉祭されますので自由に参拝できます。
神在祭 かみありさい
【旧暦10月11・15日・17日】 御本殿
神々が滞在される7日間、出雲大社西方950mに位置する出雲大社の摂社「上の宮(仮宮)」で、「大国主大神」さまが縁結びや来年の収穫など諸事について神議り(かむはかり)の主催を行われます。
出雲大社御本殿の両側にある「十九社(じゅうくしゃ)」でも連日祭事が行われます。
神等去出祭 からさでさい
令和元年11月13日 神在祭 拝殿
お集まりになられた神々が十九社より拝殿にご遷座されます。
祭事の後、神職が本殿楼門に向かい門の扉を三度叩きます。
「お立ち~、お立ち~」の声とともに神々は出雲大社をお立ちになられます。
出雲国造
天照大御神は、第二御子である天穂日命(あめのほひのみこと)を大国主命に仕えさせました。
天穂日命の子孫は代々「出雲国造(いずもこくそう)」を名乗り、今日まで出雲大社の宮司職を継承し祭祀を行っています。
現在の当主は84代目
出雲国造は、国造を世襲する際は厳重な潔斎を経て、天皇陛下に「出雲国造神賀詞」という特別な祝詞を奏上します。
これは奈良時代から国家の大事として重く扱われてきました。
金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)
千家家には、古代の出雲大社本殿の平面設計図である「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」という貴重な文献があるそうです。
巨木3本を1つの柱として組み、全9本の巨大柱が本殿を支えた構造が記されている貴重な文献です。
大国主命
記紀神話の3分の1は、出雲に関わる伝承になっています。
大国主命は、数々の名称を持っています。
「日本書紀」によると以下のように記載されています。
大国主命、またの名を大物主神、または国作大己貴命と号す。
または葦原醜神という。または大国玉神という。または顕国玉神という。
- 大国主命…国土を治める偉大な神
- 大黒天…七福神の大黒天と同一視されたことから
- 大穴牟遅神(オオナムチノカミ)
- 葦原色許男神(アシハラシコノオノカミ)
- 八千矛神(ヤチホコノカミ)
- 宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)
- 大物主神(オオモノヌシノカミ)…和魂として呼ばれている
- 国作大己貴命(クニツクリオオナムチノミコト)
出雲大社についての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
問題1
神話伝承の中で「太く深い柱で、千木が空高くまで届く」と形容され、実際、平安時代中期には東大寺大仏殿よりも高かったと伝えられる神社とは次のうちどれでしょうか。
- 出雲大社
- 神宮
- 小国神社
- 三島大社
答えは1 出雲大社
過去の試験での出題
- 平成24年6月3日 第1回神社検定 問25
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