京都、山城国一之宮は上賀茂神社と下鴨神社です。
5月に行われる葵祭、賀茂祭を執り行うのがこの両社で位置関係から上賀茂神社、下鴨神社と呼ばれています。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㊴賀茂社について教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
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賀茂祭-葵祭
京都の5月といえば、王朝絵巻さながらの行列が街中を進む賀茂祭が有名です。
この祭りは、祭儀に関わる人すべてが二葉葵を桂の小枝に挿して飾ることから一般に「葵祭」の名で親しまれています。
祭りの起源は、古い時代に上賀茂神社の北北西にある神山に「別雷神」(わけいかづちのかみ)が降臨されて、託宣されたのがはじまりとされています。
賀茂祭
6世紀欽明天皇の時代には、自然災害が多発し飢饉が起きた大変な時代でした。
占いによると「賀茂の大神に丁寧なお祀りをしていないことが原因」であることから、賀茂社に於いて神様をお祀りをすると災いが収まったということです。
こうして両神社は、毎年「葵祭」を行うことになり、天皇から勅使が送られ世のため人のために祈願される大切なお祭りになっていきました。
5月に行われるお祭りで、流鏑馬に始まり御所での「宮中の儀」、両社に向かう「路中の儀」、社中での「社頭の儀」を中心に一か月に渡り行われます。
斎王代-さいおうだい
斎王代禊の儀は、葵祭の斎王代(さいおうだい)以下、女人列に参加する四十人の女性が身を清める斎王代禊(みそぎ)の儀で毎年5月4日に行われます。
斎王代と女人たちが御手洗池(みたらしいけ)に手を浸し清める儀式で、上賀茂神社と下鴨神社で交代で斎行されます。
三勅祭
石清水祭、春日祭と並ぶ三勅祭の一つで、天皇の勅使を迎えるお祭りです。
上賀茂神社を訪れた勅使は、祓いの水である「ならの小川」の上に設けられた「橋殿(舞殿)」で天皇からの祈りの詞(ことば)を伝えます。
それを聞きますと、神社境内の「岩上(がんじょう)」で神様に代わって伝える「返し祝詞」が上げられます。
天皇の勅使をお迎えし、神様に祈りを捧げる最も重要な儀式です。
賀茂祭は賀茂別雷神社と賀茂御祖神社の両社で斎行されます。
賀茂別雷神社は上賀茂神社、賀茂御祖神社は下鴨神社と呼ばれます。
下鴨神社は賀茂川と高野川の合流点の北にあります。
上賀茂神社はそこから賀茂川を北に4キ口ほど遡った東側の山麓に鎮座しています。
徒歩で40分強とされています。
両社とも古代より賀茂氏(賀茂県主一族)の氏神をお祀りしていて、二社を称して「賀茂社」と呼ばれています。
賀茂社、賀茂神社として全国に広く勧請されています。
賀茂社は奈良時代以前より朝延の崇敬を受けていました。
794年、大きくなり過ぎた奈良仏教の影響力を排除し政治を刷新するために、桓武天皇が奈良から京都へ遷都しました。
その後は王城鎮護の神社として、今日まで格別に崇められてきました。
嵯峨天皇の弘仁元年(810)より約400年の間、伊勢の神宮の斎宮にならい、斎王が斎院として特別の祭事に奉仕しました。
斎王とは、巫女として神社に仕える
天皇家の未婚の女性のことです。
上賀茂神社-賀茂別雷神社
上賀茂神社のご祭神は賀茂別雷大神で、神名のとおり雷に関連する神様です。
御祭神
加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
加茂玉依媛命(かもたまよりひめのみこと)
加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
『山城国風土記』による伝承神話
古代の神代の時代に、天から丹塗りの矢が降ってきました。
この地に住む賀茂一族の娘である加茂玉依媛命(かもたまよりひめのみこと)が川で禊をしていて丹塗りの矢を拾い、持ち帰り枕もとに置いて眠りました。
すると姫は懐妊し、立派な御子神を産み育てました。
御子神が元服を迎えると、一族の長である加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が七日七晩の祝宴を開きました。
御子神に「父と思うものに杯を捧げよ」といい御子神に杯を渡すと、「我が父は天津神なり」といい杯を天に向かって放ると雷鳴と共に天に昇ってしまいました。
残された姫と父がもう一度御子神に会いたいと思い過ごしていると、御子神が夢に現れました。
「吾れに逢わんとは、天羽衣・天羽裳を造り、火を炬き鉾を捧げ、又走馬を餝り、奥山の賢木を採りて阿札に立て、種々の綵色を垂で、また葵楓の蔓を造り、厳しく餝りて吾をまたば来む」と御神託をされました。
お告げに従い神迎の祭りをしたところ、立派に成人された加茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の姿で神山に降臨されました。
社伝によれば、神武天皇の時代に社の北北西にある神山に降臨、鎮座され、欽明天皇の時代に賀茂祭(葵祭)が始まったとされています。
下鴨神社-賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
御本殿は流造の社殿で国宝とされています。
世界遺産でもあり、式年遷宮が行われます。
神様の台所である大炊殿は重要文化財で、見学することができます。
ご祭神
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)
賀茂建角身命は古代の京都の土地を開拓された賀茂氏の長として伝えられています。
『記紀』による、神武天皇の東征で熊野から大和への帰路を先導した八咫烏(やたがらす)は、賀茂建角身命が八腿烏として現れたものとされています。
賀茂社についての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
問題1
このお祭りでは嵯峨天皇の弘仁元年(810)より約400年にわたって、伊勢の神宮にならい、斎王という未婚の皇女が特別の祭事に奉仕しました。
この祭りとは何でしょうか。
- やすらい祭り
- 賀茂祭
- 時代祭
- 祇園祭
答えは2 賀茂祭
過去の試験での出題
- 平成24年6月3日 第1回神社検定 問27
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