貴船神社は、京都北部の鴨川の水源地にあたる場所にあり、古来より水源の神、祈雨止雨の神として崇敬されてきました。
貴船神社は、貴船山の麓に本宮、奥宮、結社の三社が鎮座してしており、極めて古い時代に創建されている神社で全国に約500社ある貴船神社の総本宮です。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㊵貴船神社について教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
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貴船神社
貴船神社は、京都の北にある鞍馬川と貴船川の合流地点から貴船川を2キロほど遡って鎮座しています。
貴船神社は、全国の水神の総本宮で「貴布禰神社」「木船神社」とも書き、ご祭神は高龗神(たかおかおのかみ)で水を司る神様です。
創建は古く不詳、社伝では反正天皇の時代とされています。
神武天皇の母であるタマヨリヒメノミコトは「黄船」に乗り、大阪湾から淀川・鴨川を遡り、源流である貴船川の上流に至り、この地に祠を建て水神を奉ったという伝説が伝えられています。
御祭神
本宮と奥宮には高龗神(タカオカミノカミ)
結社(ゆいのやしろ、中宮)には磐長姫命(イワナガヒメノミコト)
ニニギノミコトはコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姉妹と結婚しましたが醜い容姿のイワナガヒメを送り返してしまいました。
イワナガヒメはそれを恥じて、「縁結びの神として良縁を授けん」といいこの地に鎮座されたということです。
奥宮には、闇龗神(クラオカミノカミ)と玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)も合祀されるといわれており、「貴船大神」「貴船明神」と称されています。
昔はこの奥宮こそが本宮であり、手前の「思ひ川」で禊をしていたという説があります。
日本三大龍穴とされている巨大な龍穴があります。
玉依姫命が乗ってきた船が隠されている「船形石」も置いてあります。
祈雨、止雨の神
奈良時代には吉野山中の丹生川上神社が雨乞いの神とされていましたが、平安遷都後は
丹生川上神社と並んで貴船神社が祈雨、止雨の神として朝廷から崇敬を受けました。
雨を祈るときは黒馬、止雨を祈るときは白馬か赤馬を献上するのが常だったといいます。
生き馬の代わりに馬形の板に色を着けた「板立馬」を奉納するようになりました。
その後生き馬の代わりに様々な奉納品へと変化していきました。
貴船神社は絵馬発祥の地とされています。
これが絵馬の原型といわれています。
貴船川は賀茂川の川上の一つでもあり、貴船神社と前項で紹介した上賀茂神社の関係は深く、一時期、貴船神社は上賀茂神社の摂社とされていました
縁結びの神
貴船神社は文芸作品にも多く登場します。
平安時代の女流作家和泉式部は、夫婦仲に悩み参詣し歌を詠んでいます。
ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞみる (後拾遺和歌集)
悩み思いて貴船神社に参拝すると、蛍が乱舞している。
その蛍はまるで、自分の魂が抜けだしたように見える。
それに対して、貴船の神から返しの歌がありました。
おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり 物なおもひそ
魂が飛び散るほど、思い悩んではいけない。
その後、夫婦の仲はもとに戻ったということです。
丑の刻参り
貴船神社は縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、室町時代の謡曲「鉄輪(かなわ)」では以下のように語られています。
先妻が後妻を娶った夫を恨み貴船神社に詣でると、「赤い布を裁ち切り身にまとい、 顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ろうそくを灯せば鬼となる」とお告げを受けます。
夫は呪われ悪夢に苦しみ、陰陽師の安倍晴明に鬼となった先妻を退治してもらうという話です。
江戸時代に於いては、貴船神社は緑結びの神様としても信仰されていき現在も若い男女の参詣が多くみられます。
貴船神社についての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
平安遷都後に、吉野の丹生川上神社と並んで祈雨、止雨の神として朝廷から崇敬を受けた神社とはどこでしょうか。
- 廣瀬神社
- 梅宮神社
- 龍田大社
- 貴船神社
過去の試験での出題
- 平成27年6月21日 第4回神社検定 問79
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