住吉神社の総本社は大阪の住吉大社です。
ご祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の「住吉三神」と神功皇后(じんぐうこうごう、息長足姫命おきながたらしひめのみこと)です。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㉟住吉さんについて教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
第11回神社検定は、令和五年6月開催予定!
住吉神社
住吉神社の総本社は大阪の「住吉大社」です。
住吉大社は、摂津国 (せっつのくに) 「一之宮」で昭和21年までは官幣大社です。
住吉大社の夏祭りの住吉祭」は、「おはらい」とも呼ばれており大阪のみならず、日本中をお祓いする意義があるともいわれています。
住吉大社は、古くより朝廷から篤い崇敬を受けていました。
第14代仲哀天皇の后の神功皇后の新羅遠征の際に託宣を下されて、その戦いを助けられたのがこの住吉三神です。
神功皇后の新羅よりの帰還の凱旋の途中住吉大神より神託があり鎮斎されました
神功皇后も併せて「住吉四社大明神」として祀られています。
中世になると、新羅遠征に赴かれた神功皇后をお祀りしていることから武家の崇敬も集めました。
御祭神
第一本宮 底筒男命
第二本宮 中筒男命
第三本宮 表筒男命
第四本宮 息長足姫命(神功皇后)
荒魂、和魂
住吉三神の荒魂は、長門(山口県下関)にがお祀りされました。
和魂は、摂津(大阪の住吉大社)にお祀りされました。
住吉三神がお生まれになった場所は、福岡県博多の住吉神社とされています。
祓の神
住吉大神は神道でもっとも大事な「祓(はらえ)」を司る神とされています。
ご祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の「住吉三神」と神功皇后(じんぐうこうごう、息長足姫命おきながたらしひめのみこと)です。
住吉大神は海の神として信仰が厚く、奈良時代の、遣唐使派遣の際には、必ず航海の無事を祈りました。
古くから航海関係者や漁民の間で霊験あらたかな神として崇敬されてきました。
「住吉に斎く祝(はふり)が神言と行くとも来とも船は早けん」と万葉集にも詠まれています。
この歌は、住吉大神の言葉とされ神のお告げだそうです。
住吉三神
住吉三神とは『日本書紀』に記述されている神様です。
伊弉諾尊が、泉国(黄泉の国)から帰って来られたときに生まれました。
伊弉諾尊は、身についた樋れを祓うために、海に入って禊祓いをした際に、生まれた神様のことです。
●底筒男命(そこつつのおのみこと) 海底でお生まれになった神様です
●中筒男命(なかつつのおのみこと) 海の中ほどでお生まれになった神様です
●表筒男命(うわつつのおのみこと) 海の上でお生まれになった神様です。
漁業のほか農業、産業、文学の神様としても崇敬されています。
住吉大神は、草を敷かずに苗代をつくる方法を教えたという伝説があります。
このため「農耕の神、産業の神」としても庶民の信仰を集めていきました。
住吉の由来
「住吉」は古くは「墨江」と書いて「すみのえ」と読みました。
「すみのえ」とは「澄んだ入り江」のことです。
古く奈良時代には、遣隋使や遣唐使は大社の南の「墨江の津(港)」から出発していました。
その際に遣唐使は、住吉大社に参拝してから乗船し出国していきました。
江戸時代になって海運業が発達すると、航海の神として崇敬され更に広く信仰が広がっていきました。
文学、和歌、雅楽
住吉大神は、万葉集をはじめ多くの文学作品にも描かれました。
『万葉集』の他にも『古今和歌集』、『伊勢勧語』や『源氏物語』にも描かれました。
「我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いく代へぬらむ」
これは古今和歌集で、今でも神楽の曲として歌われています
古くから住吉の海岸は白砂青松の風光明媚な場所としても有名でありました。
そのため歌会も多く催され、歌道を志して参拝する人々も多くありました。
たくさんの献詠も多数されており、境内にはたくさんの歌碑や句碑が奉納されています。
こうして和歌の神様としても信仰されていくようになっていきました。
住吉さんについての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
問題1
伊弊諾尊が泉国(黄泉の国)から帰って来られ、身についた植れを祓うため海に入って膜祓をしたときに生まれた神様である底筒男命、中筒男命、表筒男命と神功皇后(息長足姫命)を祀る神社の総本社は次のうちどこでしょう。
- 走水神社
- 和多都美神社
- 住吉大社
- 伊弉諾神宮
答えは3 住吉大社
過去の試験での出題
- 平成24年6月3日 第1回神社検定 問24
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