第13回神社検定 令和7年06月29日(日)

第13回神社検定の開催日
令和7年06月29日(日) 
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3-26 熊野神社についておしえてください【神社のいろは-独学神社検定】

熊野三山を本社とする熊野神社についてです。熊野三山は熊野本宮大社(阿弥陀如来)、熊野速玉大社(薬師如来)、熊野那智大社(千手観音)の三社が鎮座しています。山々に囲まれた聖地は神道、仏教や修験道の信仰が集まっています。

 

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熊野神社

熊野神社は近年の世外遺産登録で一躍有名になりました。
熊野三山とは、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)の総称とされています。

熊野三山の主祭神と本地

熊野三神は、神仏習合によって熊野三所権現とも呼ばれ、諸祭神を含めて熊野十二所権現とも呼ばれました。

熊野本宮大社-くまのほんぐうたいしゃ

熊野本宮大社は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)とされる家津美御子大神(けつみみこのおかみ)を主祭神としており、本地は阿弥陀如来(あみだにょらい)とされています。

熊野速玉大社-くまのはやたまたいしゃ

熊野速玉大社は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とされる熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)を主祭神としており、本地は薬師如来(やくしにょらい)とされています。

熊野那智大社-くまのなちたいしゃ

熊野那智大社は伊弉冉尊(いざなみのみこと)とされる熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としており、本地は千手観音(せんじゅかんのん)とされています。

熊野三山の由緒、発祥

熊野は、古事記による神武天皇の東征して来られた際の地として記述があり、平安時代には広く信仰を集めていました。

熊野は、日本書紀によると伊弉冉尊が熊野の有馬村に葬られたと記され「死者も蘇る聖地」と言われました。

他界信仰の聖地となり、祖霊信仰やm補陀落渡海(ふだらくとかい)などの信仰が生まれました。

奈良時代には.熊野三山で修行する修験道の霊場としても信仰を集めました。

熊野の山々は神道、仏教、修験道の信仰も混在して特別な宗教環境になっていきました。

蟻の熊野詣で

平安時代から鎌倉時代にかけては、皇室からの信仰も厚く「熊野御幸(くまのごこう)」と言われる上皇や法皇による熊野参拝が盛んに行われました。

皇室のみならず、貴族や武士、庶民にいたるまで全国から多くの層からの信仰を集めました。それは「蟻の熊野詣で」と言われるほど多くの参詣者が熊野に押し寄せました。

熊野御師・熊野比丘尼・勧進聖

鎌倉時代以降は、熊野御師や熊野比丘尼、勧進聖という人たちが現れました。

熊野三山の霊験あらたかなことを絵物語にして説き、本地を語り聞かせて布教していきました。

こうして熊野信仰を全国に普及させていくことになります。

  • 熊野御師とは、熊野を参詣する人たちの宿泊所や祈禧の世話をする人たちのことです。
  • 熊野比丘尼とは出家した女性のことで、全国を歩き「熊野参詣曼荼羅」を使用して絵解きし布教していきました。
  • 勧進聖・勧進上人は、勧進帳(趣意書)を全国を歩いて各地で読み上げました。内容のほかに読み方や声の響き等も浄財を集める重要な要素でした。女性の勧進聖・勧進比丘尼熊野比丘尼歌比丘尼もいて、歌や絵解きでの勧進活動を得意としました。
  • 時宗開祖の一遍聖人は、本宮参詣時に託宣を受け極楽往生を約束する念仏札を配るようになったと伝わっています。
26.熊野三山についての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。問題1巫女以下のうち紀州の熊野三山とは違う神社はどれでしょうか? 熊野大社 熊野本宮大社 熊野速玉大社 熊野那智大社おとな旅プレ...

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