日吉神社の読み方は、本来は「日枝山・比叡山」の「ひえ」だったのが、後に「吉」という好字をあてて、「ひよし」とも呼ばれるようになったようです。
ここでは、「神社検定テキスト 神社のいろは」第3章の㉚日吉さま山王さまについて教えてくださいのページの内容を掘り下げて学習し、暗記しやすいようにスマホでも見やすい1ページにまとめてみました。
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日吉さま、山王さま
日吉神社、日枝神社は日吉神社とも呼ばれる場合があります。さらには山王社とも呼ばれる場合があります。
これは総本社の日吉大社と比叡山・延暦寺との関係に由来します。
日吉大社
日吉大社は滋賀県大津市に鎖座し、東には琵琶湖を西には比叡山を望む場所に位置しています。
2100年前、崇神天皇7年に創祀された日吉大社は、日枝山(比叡山の東尾にある山)の山の神である大山祇の神をお祀りしてきました。
天智天皇が都を大津の地に遷された翌年(668年)、日吉大社は奈良の三輪山より大和国の守護神ともいうべき大神神社の大己貴神(おおなむちのかみ)が勧請されます。
全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮となっています。
平安京遷都の際には、都の表鬼門(北東)にあることから、都の魔除・災難除を祈る社とされました。
延暦7年(788年)、最澄(日本の天台宗開祖)は比叡山に比叡山寺(延暦寺の前身)を創建し天台宗の護法神としても崇敬を集めています。
日吉さん、山王さん
日吉の神が「山王さん」と呼ばれるようになったのは、天台宗の中国の本山が「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」を護法神として祀っていたことによるといいす。
ここから天台宗における神仏習合思想は発展していき、山王権現という呼び方も生まれてきます。
日吉大社には多くの神様が祀られていますが、それぞれの神に本地仏が定められ、延暦寺は日吉大社に対する信仰を天台教学の中に取り入れていきました。
明神鳥居の上に三角形をのせた形の山王鳥居も神道と仏教の習合を表した山王思想を形として現したものともいわれています。
こうして、天台宗の全国布教とともに、日吉神に対する信仰も広まっていったのです。
山王祭
日吉大社の山王祭は、毎年4月に行われる勇壮なお祭で全国的に有名です。
山王祭は、延歴10年(791)に桓武天皇が日吉社に2基の神輿をご寄進されて以来、1200年以上続いている歴史があります。
西本宮の大己貴神、東本宮の大山咋神のご鎮座の由来をたどりながら、天下泰平・五穀豊穣をお祈りし7基の神輿が渡御します。
その山王祭では天台宗の僧侶たちが神前で読経を行います。
日吉大社では山王祭に限らず、今も往時の名残をうかがうことができます。
日枝神社
東京の赤坂に鎮座する日枝神社は、江戸城を築城した太円道潅が鎮守神として大いに崇めたものといわれています。
「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」「山王社」「山王さん」とも称されています。
江戸時代には幕府の鎮護社となり、大正天皇御即位にあたり官幣大社となりました。
国宝や重要文化財は刀剣31口の他に、徳川将軍家ゆかりの宝物が多数宝物殿に所蔵されています。
日枝神社の山王祭も神田神社の神田祭と並んで江戸を二分する祭りとして大いに賑わい今に続いています。
日吉さま、山王さまについての問題です
これまでの神社検定試験で実際に出題された過去の問題です。
神社検定試験過去問題集に記載されたものを選んでみました。
問題1
日吉大社は( )一山の鎮守神とされていきました。
( )に入る言葉はなんでしょう?
- 金剛峯寺
- 輪王寺
- 永平寺
- 延暦寺
答えは4 延暦寺(えんりゃくじ)
過去の試験での出題
- 令和元年6月16日 第8回神社検定 問22
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